居場所

飯能に生まれ飯能で育ち飯能で暮らしているけれど、
今ひとつ、飯能市民という意識が希薄だと思う。
やはり、住んでいた地域が元々は飯能市では無かった事に起因するのだろう。
と言っても、市町村合併は私が生まれるずっと前の出来事であるのだけど。

それでも、地域の中でよくかわされる言葉の中に、
「○○をしに、飯能まで行ってくる」
という言葉は今でも老若男女を問わず使われる。

飯能市民なのに、
「買い物があるんで飯能まで行ってくる」とか「飯能まで車で行くと30分以上かかる」
「飯能まで行けば○○は売ってるはず」「こっちは雨だけど、飯能はもう晴れているらしい」
そういう言葉が違和感なく通用している。

私の中での「飯能」という括りは、飯能駅及び東飯能駅から歩いて30分前後の場所がいわゆる「飯能」になる。

そうだなあ・・・東はベルクのある緑町辺りで、西は永田辺りかな。(原市場住民の方々、ごめんなさい)南は美杉台、北は中山。
それ以外の場所も飯能市であるが、この場合「飯能」という言い方はせず、地名を言う事になる。
「原市場にある○○へ行こう」「名栗のカフェを探してみたい」「中藤は分譲住宅が割と多いよね」
地形的に見れば、ここは飯能の西のはずれ。

家から「飯能」まで行くのと「秩父」まで行くので半々くらい、いや「飯能」の方が近いかな。
だが「飯能」まで行くのには途中で「日高市」を通過しないと辿り着けない。
「飯能」に続く国道299号線が日高市内を通っているからだ。

そんなだからどうしても、郷土愛みたいなのが希薄なのかもしれない。

高校に入学した当時、クラスメートに私が住んでいる地域を教えると「ええっ!あそこも飯能市だったの?」と何度か言われた(笑)

そうだよねえ。遠いよねえ(笑) 飯能市じゃなく、秩父市だと思ってる人が未だに居るくらいだからねえ(笑)

飯能市を東京都になぞらえると、駅周辺地域が23区に相当し、私が住む一帯は奥多摩、檜原村に重なる。
なにせ似てるし(笑) いつだったか奥多摩湖から檜原村近辺をドライブした事があったが、既視感出まくりだった(笑)
檜原村と同じく、2月の歴史的大雪の時は5日間も孤立状態だった。(いや、あちらの方がレベルが全然違うけど)

ガンダムで言うところの「地球からもっとも遠く離れたサイド3は・・・」かしら(笑)
もっとも独立戦争なんか仕掛けませんけどねwww

そんな事もあって、市の観光行事やその他イベントなども低温状態(笑)参加意欲があまり湧かない。なんとなく、他市の出来事の様な感覚もある。それに・・・何をしようにも、遠いしねえ・・・

宙ぶらりんで「居場所」が無い様な感覚。
それを困っている訳ではない。何とかしようと焦ってもいない。むしろ、面白がっている。

「フェイスブック飯能会」に投稿される郷土愛に溢れる方々の思いを、
「なんと、こんなに熱くて優しくて思いやりのある人が沢山いるじゃん」と、ちょっと微笑しつつ読んでいる。

例えるなら、教室の真ん中でクラスメイトの半分以上が何かの活動でワイワイと盛り上がっているときに、端っこより少し真ん中寄り(笑)の後ろの席で頬杖をつきながら「おー、面白そうな事してるのね」と眺めている地味な女の子の心境(わかりづらいww)。

実際、子供時代の私もそんなだったから。
真ん中に立ったり、その周りで盛り上げる役目というのは元々苦手なのだ。
だから、少し引いた場所で眺めてる単独行動型な私。
何か発言したくなったり、輪の中に加わりたいと思ったら、その時に入ればいいや。
そんな感じ。別にクールでもなんでもない。地味なだけ。
地元も非常に地味、だしね。

これから飯能市はどんな風に変わっていくのだろうか。
色々な問題も山積してる。
全て解決するのは不可能な気さえしてくる。
それでも、適当にゆるくて穏やかで、首都圏なのにローカルなこの街は、ずっとこのまま緩やかに進化していくように思えてくる。
少しずつ、少しずつ。

沢山の「愛」が積み重なって、大好き飯能!と笑顔で言える人が、今よりも何倍も増えていますように。
そして、
私の中の薄い郷土愛が厚みと熱さを増せるように、少しずつ「輪の中」に近づけるように、内も外も変わって行けたら良いね。

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