天から授かる贈り物

こんな記事を見つけました。


命をコントロールしてまで、女は幸せになるべきか? 医師の私が不妊治療をやめた理由

成功率3割、1回50万円の負担、予定を立てられない生活 不妊治療は女性を幸せにするのか?

不妊治療に関する記事で身体と精神への負担に苦しみ、治療する事を諦めた女性医師の心情がインタビューによって綴られています。

不妊治療。

 私も17年前に散々悩み苦しみました。
でも今では、年月の積み重なりによって精神的にもその負の思いを払拭出来ました。
よく、悩み苦しみ悲しみも、時間がいやしてくれる、と言われますが、まさにそうでした。
傷ついた心が、時間によって癒やされました。


 私は卵管閉塞によって妊娠しづらい事が解り、さらに(当時)小さいながらも(卵が)着床しにくい場所に子宮筋腫がある事も判明しました。

そうなると、
残されてるのは卵管通水及び通気治療ですが、
これは非常に強い痛みを伴うと言われ、実際に卵管造影検査では、造影液が卵管を通らず、意識を失うかと思うほどの激痛で、造影検査中は動いちゃいけないのに、診察台の上で絶叫しながら七転八倒でした。
処置室外にまで多分絶叫は聞こえたな(笑)

あの痛みは・・・
とてもじゃないが、もう耐えられないと思いました。
もちろん、通水・通気治療の専門医を受診すれば、無痛だと言う情報も得ていました。
が、痛い・痛くないの問題ではなくて・・・
どこまで頑張れば産めるのかな・・・
それが何よりも気がかりでした。

造影検査で浮かび上がった画像には、卵管は全く映っていませんでした。
モノクロ画像には、肥大化した子宮だけが、ぽっかり白く映っていました。

「うわー、大きいねえ」

「初めて見た」

「うわ・・・すごいわ」

激痛の疲れで横たわっている私のすぐそばで、ドクターと研修医数人が、私の子宮画像を好奇心丸出し、と言った感じで眺めています。

意識がもうろうとするなか、自分の臓器を笑われているように思い、恥ずかしさと憤りで頬が熱くなっていったのが忘れられません。

やっとの思いで起きられるようになった私を、
産婦人科の副院長で院長夫人でもあるS子先生が呼びました。

そして、お腹をかばいながらゆっくりと椅子に座った私に、

「右の卵巣、使い物になりませんねえ-。左もちょっと無理ねー」

と、抑揚の無い乾いた声で告げました。

(使い物にならない・・・ってまるで役に立たない道具の様な言い方じゃないか・・)

そして続けて通水治療をするので予約を取りなさい、と告げられました。
研修医はその間も私のデータを目をキラキラさせながら(笑)食い入るように見ていました。

会計を済ませ、ヨロヨロしながら車に戻り、治療が終わった旨を加とさんに電話した途端、涙が止まらなくなりました。

泣いて。

泣いて。

薄暗くなってきた病院の駐車場に停めた車内で、私はひとしきり号泣していました。


そして、
残業で夜遅く帰って来た加とさんに、その日病院で起こった事を全て告げました。
加とさんは、黙って聞いていて、

「で、どうしたい?」

と私に尋ねました。

私は

「通水しないと卵管が通らなくて子供出来ないから、通水する事になる」
とだけ伝えました。

今にして思えば、あの時の自分の気持ちは後回しでした。

結婚して2年経過。
とにかく、長男のヨメですから、子供を産まないといけない。
出来れば男子を。
そのプレッシャーで日々追い詰められていました。

どうしよう。

どうしよう。

出来なかったらどうしよう。

人一倍子供好きな加とさんをパパにしてあげられないかもしれない・・・
そう思っただけで、
涙が後から後から湧いてきて、当時の私は職場で1人よく泣いていました。
当時は職場では手書き書類がまだ多かったから、紙が涙で濡れてしまい、何度も書き直した事がありました。

通水治療予約をしたものの、どういう訳か月経が早まってしまい、予約をキャンセル。
その次の月も、月経予定期間をはずしたのにまた月経が。

そして、
その産婦人科(入間市にある妊婦さんには人気の産婦人科です)にはそれっきり通院する事はありませんでした。

さて、ではどこで不妊治療をすればよいか。

当時はインターネットもまだそれほど使われていない時代。とにかく本を買って調べるしかありませんでした。

都内に通気・通水治療の専門医がいる事が解ったのですが、迷いに迷ってずるずると月日が過ぎ、夏になりました。

地元の友人夫妻が実家のある宮崎に車で里帰りする事になり、加とさんと私は「一緒に行かない?」と誘われました。

車で宮崎まで帰るのですが、運転は友人夫妻のご主人のみ。
運転大好きな加とさん、交替ドライバーとして同行することになり、私も「おまけ」で(笑)ついていく事になりました。

帰省に同行すると言っても、ご実家にずっと寝泊まりする訳にはいきません。
地元に戻るまでの数日間をどう過ごすか?
色々考えて、屋久島へ渡る事にしました。

宮崎で友人夫妻と別れ、港近くの旅館で一泊し、船で屋久島へ。
そこでの様々な体験はまた別の場所で書く事にして、屋久島の宿で、今後の事について加とさんと話し合いました。

加「屋久島いいなあ。来年も来たいな。来年来よう!」

私「こども、どうしようか・・・」

加「じゃー、子供を来年。再来年に屋久島(脳天気なww)」

私「こども、そんなに簡単にできないんだよ。不妊治療しないとだよ」

加「あ、そっか(また脳天気)」

私「来年も再来年も、治療ばっかりになるかもしれないし、お金もかかるし」

加「じゃあ、いいんじゃない?子供は」

私「産まなくていいの?」

加「だって、別に子供いない夫婦なんて沢山いるし、子供がいなけりゃいけない事なんかないでしょう。子供は結果であって目標じゃない。子供は天からの授かりものだと俺は思ってる。だから出来ないなら出来ないでイイんだよ。俺は病院で治療して無理に子供を作ろうという気持ちになれないし、そうやって例え上手くいって、子供が出来たとしても、愛せるかどうか解らないよ」

一気に話す加とさんに、私はあっけにとられました。


ああ。

無理しなくていいんだ。

そう思った途端、心の闇が明るく晴れた気がしました。


私は不妊治療を否定している訳では決してありません。

沢山の努力と涙と、強い意志の積み重ねで、子供を授かる事が出来た女性には心から良かったね!と申しあげたい。


保険もきかず、家一軒建つほどの医療費やタイミングを重ねて、ついに子供を産む事が出来た喜びは、どんなにか大きい事でしょう。

また、何年も沢山沢山苦労して、それでもとうとう授かれなかった方々にも、心から「よく頑張ったね!」とねぎらいの言葉をかけたいです。

人生の選択は、人それぞれ。

屋久島から戻った私たちは、夫婦2人で仲良く暮らして行こうと言う選択をしました。

それは両家の親族には大きな落胆をもたらしたと思います。

申し訳ない気持ちは、妊娠不可能な年齢になった今でも持っています。
孫を抱かせてやれなくて、本当に申し訳ない。
こんなヨメでごめんなさい。

その分、
私たち夫婦は「お父さん」「お母さん」という役割から降りることが出来たので(笑)今でも結婚当初と変わらず、面白い事や美味しいお店とか観たい映画とか、色んなイベント等は夫婦2人で出かけて行きます。

ケンカも19年数ヶ月の間では1度か2度くらい。
夫婦というより兄妹、いや、姉弟です(笑)
子供時代に出会ってからだと、もう42年だしね(笑)

私にとって、
天からの授かりものは、加とさんだったかもしれません。
こんな面白い、おかしな人も珍しいので(笑)一緒に居て飽きません。

55歳ですが、40歳そこそこに見られるそうで、職場で、加とさんの実年齢を知らない一回り下の人から「加藤くん」と呼ばれています(笑)

周囲が唖然としているのですが、加とさんも私も「若く見られてるって事で喜ばしい」などと言い、笑っています。

がしかし!

弊害もあります。

私の実年齢を知っている人から

「ご主人、年下?」

「姉さん女房ですか?」

と言われてしまうことヽ(;▽;)ノ

それが最大の悲劇・・・あたしゃ4つも年下なのにっ!!!

こうなったら、アンチエイジングですね、私!(笑)

コメント

cfernonnon さんの投稿…
うちは双方に引っかかりがあり、数年治療したのですが・・・
特に話し合うこともなく、自然消滅で治療ストップという感じでした。

わたし個人では、いとこや友人にそれとなく、
「治療しんどいし・・・」と告げたりしたんですよね~
(親は子供できるまで続けないととか言うんですが)

「もういいんじゃない?」
いとこと友人から言われた言葉に救われたわたしでした~

屋久島での話し合い・・・いいですね。
我が家ではそんな状況ありませんでしたよ。
K Chieko さんの投稿…
コメントありがとうございました!気づかなくてごめんなさい!(||| ̄△ ̄;)1ヶ月も経ってしまった・・・いやはや、コメント通知機能ってないのかな・・・(ノ_-;)

不妊治療って、どこで終わらせるか?が本当にデリケートで難しいですね。
私の場合、通水治療の予約不調でそのまま終わってしまったので、実質的な治療をしていません。
その事で某MLでは「治療をしていない人があれこれと意見するのは不愉快」という様な言われ方をする人がいて、何年もの間、色々な治療をして、ついに諦めた、という人が偉い、みたいな流れになった時は、非常に形見が狭い思いをしたものです。
その思いは今でも少し残っていて、今回、こうしてブログ記事に載せた事は、多少の後ろめたさもありますが、そうした思いを乗り越えてクリアしないと先に進めないんじゃないかと思い、記事にしました。

親は最近になって「孫の顔を今か今かと楽しみにしてたんだよ」と、初めて聞かされ、今頃になって申し訳ない気持ちが湧いて来ました。
不妊と判った当時は、そうした事は一切言わず、出来なければ仕方ないよ、程度の事しか言わなかったので、ああ、うちの親もショックだったんだなーと、今更ながら気づきました。

屋久島での会話がその後を決定しましたが、加とさんの言葉に救われた一方で、
人工授精によって生まれてくる子ども達も、かけがえのない大切な命だと思っています。

私たち夫婦には縁がありませんでしたが。
今は夫婦でおもしろおかしく日々を暮らして行こうと思っています。