私は誰?

4つか5つの頃、だったと思いますが、
ふいに、猛烈な孤独感に襲われて震えるほど怖い思いをした事がありました。

それは・・・

私は一体、誰なんだろう?
なぜ「わたし」なんだろう?
この地球という惑星に、何故、私として生まれてきて、存在しているんだろう?
何故、お隣のよしこちゃんというお姉さんじゃなくて、
何故、テレビに映っているチャコちゃんじゃなくて、
何故、親戚の清子おばちゃんじゃなくて、
何故、外国のお城に住んでいるお姫様や王子様じゃなくて、

なんで、
私は「わたし」として、ここに生まれて、たった1人で生きているんだろう?

その事を考えた途端、猛烈な孤独と恐怖で足がすくみ、その場に座り込みました。

私、という小さな子供の「意識」を強く感じ、私vs私以外の人間+生き物と言う構図が出来上がり、恐ろしくてたまりませんでした。


とは言え、元来が能天気で適当なので(笑)、
数分もすると「難しいからどうでもいいや」と思って考え方を切り替えてしまう子でした。

学校に行くようになっても、時折その考えが頭をよぎりました。

私以外の人間は全て他の人。
その単純な図式は、時に私をひどく憂鬱にしましたが、それでも日常生活に影響を及ぼすほどではありませんでした。

何故、私は勉強も出来て、足も速くて、お大尽の○子ちゃんに生まれず、私なんかに生まれて来ちゃったのかなー。

その頃から他人と比較して自己評価がとても低い子でした。

そうやって時々意識が拡大(というか分離?)して、猛烈な孤独感に苛まれていた事は、今ここで初めて打ち明ける事です。
小さな心でそんな事を考えつつも、友達とは結構うまくやっていたし、虐められた記憶もあまりありません。

その拡大?分離?した意識が求めたのは、いつしか見えない世界の事でした。

目に見えない「なにか」を追い求める様になったのは、10歳くらいからでしょうか?
テレビの心霊特集はかかさずに観ていました(笑)
故・中岡俊哉さん監修「恐怖の心霊写真集」だなんてオソロシイ本を何冊も持ってました(笑)
こうした、本来見えないものが写真に現れるという現象がもー、面白いったらない(罰当たりな)!

父がカメラマニアだった事もあって、幼い頃からオトナが使うカメラをオモチャ代わりにしていました。
心霊写真が撮りたくて、般若心経を唱えながら自宅仏壇を撮った事もありました(なんて子供だ)。
でも、ご先祖様も地縛霊も浮遊霊もオーブも、なーーーんにも写り込んではくれませんでした。

今でも、テレビで真夏によくやる(笑)心霊写真特集なんかで、不気味な投稿写真などを見かけると、
「うまく撮れてるなぁ」と羨ましくさえ思う事があり、自分でもさすがに罰当たりだなと思います(^^;;


そんな風に、
私は、人の目に普段は写らない世界を垣間見たい気持ちを抱きながら成長していったのでした。


その思いは、いつしか違う方向へと向いていきました。
そのきっかけとなった動画はコチラ。



最初にこれの字幕版を観たのは、もう7,8年前だったと思います。 初めて見た時の衝撃は大きく、その後DVDも購入し、書籍も買いました。
 (ちなみに、本の方は未だに1ページも読んでなくて、積ん読状態ですがw)

そこで私は「オカルト」という括りではない「精神世界」というジャンルを知り、この本に出会います。
私も読む前に、加とさんがまず衝撃を受け、物の考え方がガラリと変わりました。
世の中のあらゆる出来事は必然であり、私達は「ひとつ」なのだと。
当時、加とさんは経済的その他諸々で限界間近なくらい大変な状況にいたのですが(もちろん私もですが)、この本があったから、死という選択肢を選ばなかったんじゃないかと思います。

月日が流れ、
今では随分と落ち着いて来ましたが、まだまだ困難は終わった訳ではありません。

こうした困難な状況は、私たち2人が生まれる前に2人でプログラミングした事なのかなーとも思います。

だとしたら、悪あがきしても解決しない気がして、今では2人そろって「なんとかなるさ~」と思いながら日々をのほほんと生きています。

そして・・・

最近、再び、幼い頃に感じた「なぜ、私なのかな」と言う問いが頭をもたげてきました。

こんなドラマ~~な人生を選んだ理由はどこにある?
そしてそれがまたどうして私という人間なのだろうか?

こんな禅問答みたいな事をツラツラ考えていても、答えなんてわからない。
きっと、答えは死んであちらの世界に戻った時に解るんだろうな。

それまではなんとか、この状況下で生きていくしかないかなぁ。
だったら、もう楽しむ事を考える方がいい。
出来る範囲で。
無理はしない。
でも、
諦めることはしない。希望は捨てない。夢は消さない。

今までそうだったように、どこかで誰かが見ていてくれる。
目に見えない誰かが、見守っていてくれる。
そして、決して見捨てはしない。委ねても大丈夫。

そんな漠然とした確信と安心感と開き直りが、ここ数年の私にポジティブ思考を与えてくれました。

私は誰なのか。
とりあえず、今はどうでもいい。

それよりも、与えられるものに感謝して、
起こる事は全て幸運を呼び込むきっかけと思って、
能天気に日々の出来事をクリアしていくさ。

そう思いながらも、この先、何が起こるのか考えると、正直怖い・・・
強烈な試練が待ち受けてたら、私、乗り越えられるかなぁ・・・

でもさ、
まだ起こっていない事柄を思って不安になってもしょうがないよね、って、また思い直す。

そんな事の繰り返し。

その積み重ねの中で、少しずつ運命の扉に近づいていくような、そんな小さな期待を胸に、今日もまた笑ったり泣いたりしながら生きていくのです・・・

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