わがままな日々

私が4歳くらいの頃だったと思います。

実はワタクシ、
幼い頃、お風呂が大っっっっ嫌いでした!(笑)
どうして嫌いだったのか、よく覚えていませんが、多分、シャンプーでも目に入って痛い思いをした・・・ぐらいの事だったんじゃないかな。
ある日を境に「風呂入らない!」と宣言し、母や祖母の言いつけを一切聞かなくなりました。

真夏の汗ばむ時期じゃなかったのが幸いしましたが、それでも長期に渡って身体も髪も洗わないってのはかなりマズい状況だったと思います(・_・;)

のどかな山村で育ちましたから、畑や野山を泥んこになって走り回った日もあったし、家に居ればお絵描き三昧の日々で手指は結構汚れていたはず。

祖母が上手いことだましてお風呂に入れようと画策しました。
たぶんお菓子か何かで釣り、風呂場に誘い込もうとしたんですね。
でも、途中で気づいた私はそこで大泣き。結局その日もお風呂に入らないままでした。

私がお風呂に入らない事で、周囲の大人達がとても困っていました。
子供ごころに、母が困り果てているのが解っていました。父と母が意見の相違でただならぬ雰囲気になっていた事にも気づいていました。

でも!
いやなものはいやじゃ!!!
こればかりは絶対譲れん!

風呂拒否が2ヶ月目に入り、
肌や髪の汚れがかなり目立ってきた頃(もちろん私自身はそんな事は全く意に介さず)私は急に「お風呂入る・・・」と言い、素直にお風呂に入りました。

その時の祖母と母の喜びようと言ったら(笑)
母は普段から私をめったに私を褒めませんが、その母が私に「エライエライ」を連発し、優しく髪を洗ってくれました。
その時に思った事は、40年以上の歳月が過ぎた今でも覚えています。

(私が大人の言う通りにすると、大人はすごく喜ぶんだな)

イイ大人になった今では、寒い夜に熱めのお湯に入るのが極楽、極楽♪(*^ω^*)
温泉とかいいよねー。出来れば雪の日、北国の露天風呂などに、のぼせるまで入りたいわ(笑)

小さな私の反乱は更に続きます。

2歳違いの妹が生まれ、ほどなくダウン症だと判明しました。
父も母もひどくショックを受けた様で、この頃の両親が笑顔で楽しそうだった記憶はありません。
祖父母は母を責め、将来を悲観し、随分ひどい事を言ったんじゃないかと思います。

が、
当時4つか5つの私には、妹のハンディも両親の落胆も祖父母のイライラもまったく理解出来ません。
というか、
放って置かれた訳です。
それどころじゃないの!あっち行ってなさい!みたいなね。

今と違って、昭和40年代初頭は、ハンディのある人に対して優しい社会であったかというと、決してそうは言えない空気が充ち満ちていたと思います。

放っておかれた分、オモチャや絵本などは沢山あったと思います。
1人で遊んでらっしゃいって事だったのでしょう。
が、山村で近所に遊び相手が殆どいない状況で、オモチャと絵本を与えられるだけの日々は、私にはとても寂しい日々だった記憶があります。

そんな時、
お盆で母の実家に泊まりに行きました。
母は7人姉弟の長女で、弟が1人、妹が5人いました。
若くてはつらつとした独身の叔母達が、代わる代わる私と遊んでくれました。
叔母達にとって私は初めての姪っ子だから、可愛かったのでしょうね。
化粧品を使わせてくれてお化粧なんかして遊んだり、
沢山のレコードを毎日聴かせてくれたり、
とても高い香水を内緒でチョンチョンと手首につけてくれたり、
とにかく家では全く出来ない事を好きなだけさせてくれました。
もう、毎日楽しいったらない!

そして、2晩泊まって帰る日の朝、私はまた叛乱を起こしました。

「ここの家の子になるから、帰らない!」

驚く両親を尻目に、私は2階に駆け上がり、諦めた両親が車に乗って家を出て行くまで、下りて来る事はありませんでした。

叔母も叔父も、母方の祖父母も曾祖母も、
私が何故そんな事を言ったのか察知したのでしょう。
気が済むまで居ればいい、と言う事になったようです。

それから、
私は母の実家で思う存分自由に楽しく過ごしました。
叔母達が出勤すると、祖母や曾祖母が遊んでくれました。
母方の祖母はふくよかな体型で、明るくて素朴でいつも笑顔の優しい人でした。
曾祖母は祖母と正反対で、老いた痩躯をいつもキチンと正し、厳格な面もありましたが、私を1人の「人間」としてキチンと扱ってくれた最初の人だと思っています。

叔父は姉弟唯一の男だったせいか、あまり多くを語らない人でしたが、休みの日は車に乗せてあちこち連れて行ってくれたり、肩車もしてくれました。

本当に毎日が楽しかった・・・

その頃、自宅では、ストライキを起こした私の事で祖父母が激怒、母は肩身が狭くなり、さらに妹の世話で疲れ果て、深刻な状況になっていました。
いつ、私を連れ戻すか。毎晩その話で議論が起こっていました。
レコードを毎日聴いていると聞き、父はワガママ娘の為に大枚をはたいてレコードプレーヤーと子供向けレコードを買い込みました。

当の私は、そんな事は全く知りもせず、毎晩叔母達に可愛がってもらって、もう家には戻らない、ここの家の子になると固く心に決めていました。

1ヶ月後。
私が昼寝をしている時に両親が私を連れ戻しに来ました。
叔母がそっと私を抱きかかえ、父の車に乗せました。
爆睡していた私は家に帰り着くまで目を覚ましませんでした。
が、目覚めて辺りを見回すと、そこは楽しい母の実家ではありません。
途端に私はギャン泣きして「帰る!帰る!」を連発し、大暴れ!
焦った父がレコードを聴かせてなだめるも全く効果なし!聴いちゃいない。

(なんてワガママなガキンチョでしょうか。自分で書いててイヤになってくるわ・怒)

仕方なく、両親はまたまた母の実家に戻り、もうしばらく預かって欲しいとお願いしました。
困惑する母方の祖父母や叔母達。
でも、そこまで家に居たくないと言う私の「心の闇」を解ってくれたのかどうか、またしばらくの間、母の実家で暮らし始めたのでしたε=(´。` )


セミが鳴いていた夏の日は過ぎ、辺りはすっかり秋の気配です。
私は、自分がどれだけ周りの大人達を振り回しているか、幼いながらに解っていました。

でも、辛かったのです。家に居るのが。
小さな身体に、心臓の合併症も抱えた妹は東京の医大に入院したまま。
先行きを案じる祖母の愚痴と不機嫌を、子供ながらに感じ取って不安にさいなまれる日々。

遊びたい、甘えたい盛りに、父も母も、妹につきっきり。
祖父母に甘えようにも突き放され、オモチャばかりを与えられ・・・

そんな重苦しい空気の中に戻りたくない。
ずっと、このままココで暮らしたい。

・・・でも、それはダメなんだ。このまんまじゃ、ダメなんだ。

(私が大人の言う通りにすると、大人はすごく喜ぶんだな)

大嫌いだったお風呂に入った時に思ったその事を、そこで実行したのです。

再び迎えに来た父の車に、私は素直に乗り込みました。
遊び相手が誰もいない我が家に戻るために。

「またおいで」
頬を寄せる叔母達の笑顔に、こくん、と頷きながら、私は家へと戻って行きました。

妹は26年生きて、23年前の3月に旅立ちました。

末の妹は健在で、アラフォー世代の今も勉強大好き。私と正反対(笑)
現在は都内の某大学に通って勉強を続けております。

私を一番可愛がってくれた母のすぐ下の叔母は、3年前に他界しました。
華やかで社交的で、美しい人でした。

オトナになった今は、
こんなワガママは、子供のうちだけだよなぁ・・・としみじみ思います。

イヤな事にイヤ!と言えない社会はまさしく大人達が作った訳ですが。。

思いつきで好きなように行動していた子供時代と違い、ある程度の勇気と覚悟が無いとイヤなものにイヤと言えない大人達ってのは、とても窮屈な生き方に思えます。

かと言って、子供の様に自由に発言したり行動したりすると、信用を失ってしまうかもしれません。

行動せずとも、言わずとも、子供の頃の純粋さは出来れば失いたくないです。
自分自身が、何が好きで何が嫌いで何が得意で何が不得意か、ちゃんと解っている大人は少ない様な気がします。
また、言いにくい雰囲気や状況もあったりして、なかなか自分らしさを出せないという事もあるかもしれませんね。

そんな中でも、自分はこうありたい、こうなんだ、という気持ちは大事にしたいな、と思います。



という訳で(笑)、
ふいに、大昔のワガママ放題な私を思い出しました。
そして、自宅の祖父母や母方の曾祖母・祖父母(彼らにはもう会えないけれど)、
優しくしてくれた叔父・叔母達、そして、
一番困らせた両親に、

あの時はもー、ほんっっっとに、色々すいませんでしたっ!(平身低頭ペコペコ)

と、謝っておきたいなーと思いましたよ・・・たはは。

その一方で、
あの頃のように、自分の気持ちに素直でありたいな-、と言う思いを強くしました。

ここのところ、
職場で色々と我慢を強いられる事に遭遇しているせいか、子供の頃が思い出されます。
言いたい事をバンバン言えた頃が懐かしいわあ(笑)

もっと色々、言うべきなのでしょうね。言わずに収めてしまうばかりではダメなのかな。

うん。

勇気だそう。。。

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