いきものと暮らすということ。

パソコンのブックマークを整理していたら、
数年前に疎遠になってしまった女性のブログに目が留まりました。

(ああ、そう言えば元気だろうか・・・)

意見の相違でぶつかる事があって、そのまま縁が切れてしまい、ブックマークにはその当時入れておいた彼女のサイトが当時のまま残っていました。

削除する前に、一度見ておこうかな・・
そんな事を考えながら、ブックマークのタイトルをクリックしてみました。

そして、
一瞬、時間が止まった様な気がしました。

おそらく、
彼女が世界で一番愛していたであろう、ウサギの死が綴られていました。

美しい毛並みと、活発に動く姿を写真や動画で何度か見ていただけに、
静かな表情で横たわる姿が、にわかに同じ子だとは信じられず・・・

私は卯年生まれなので、いつかはウサギを飼ってみたいと常々思っていました。
その時は、この子みたいなふかふかの毛並みの元気な子を飼ってみたいと、何度思ったことか。

胸に迫る沢山の思いをこらえながら、
画面をスクロールして長い長い文章に目を通す。
地球を旅立つその寸前、最後の1分1秒まで、常に彼女と一緒だった。
大好きな彼女の胸に抱かれて、幸せな日々に幕を下ろしたんだね。
「彼」の一生が愛情と優しさに満ちた幸せな日々だった事は、飼い主の彼女が綴っていたブログから十分に伝わってきます。。

幸せな生涯だったね。おつかれさま。ありがとうね。

動物を飼うという事は、慈しみ育てる幸せを体験出来ると共に、最期を看取る悲しみを知る事になります。

私もこれまで、
何頭もの動物たちを見送ってきました。
私と同い年だった三毛猫、
少女マンガのヒーローと同じ名前をつけた柴犬。
知人から譲り受けた茶トラのお坊ちゃん猫。
殺処分寸前だった茶トラの子猫・・・

親類の子を譲り受けたMIX犬。
捨てられ、職場に流れ着いたMIX犬。

そして・・・

あこがれだった、ジャーマン・シェパード。

何頭飼っても、看取っても、
最期の瞬間はまるで初めて失うかのように、苦しくて悲しい。
命が消えていくさまを、何も出来ずにただ泣くだけしか出来なかったり、
私が目を離した数分に急いで旅立って行ったり、
もう長くないのかな、と思った翌日に姿を消してしまったり・・・

待って!まだ逝かないで!ここにいて!・・・お願い・・・生きて、生きて・・・

そう、心で叫び、手を伸ばしても、それをすり抜けるようにさよならしていく。

そんな経験を何度も重ね、慣れたつもりでいても、なかなかしっかりしてはいられません。

6年前、ジャーマン・シェパードのシータが亡くなった時は、私たちが出勤した直後でした。
最期を看取る事は出来ませんでした。
加とさんに連絡すると、急遽仕事を休んで帰宅し、自宅裏の山にある墓所に、他の犬や猫たちが眠る場所の隣に葬られました。

私は職場を空ける事が出来ず、最期は立ち会う事は出来ませんでした。

今でも、
シータの犬舎があった裏庭に立つと、元気だった頃のシータが思い出され、泣けてきます。
もっと幸せな飼い方があったんじゃないか。病気に気づけなかった事が悔やまれ、ゴメンねという言葉と涙がいつもあふれます。

打ちのめされる思いを胸に抱いたまま、シータの死から10日後、1匹の子猫が我が家にやって来ました。
野良一家の子猫がはぐれて、職場の玄関でミャアミャア鳴いていたキジトラ。

それが、メイでした。

悲しみに浸る間もなく、私は子猫の保護に追いまくられ、気がつけば半年が過ぎていました。
シータの死から半年経った頃、またまた1匹の子猫が我が家にやってきました。

親兄弟共に捨てられ、グリーンラインをさまよううちに親猫や兄弟猫とはぐれ、痩せた身体で辿り着いたのがここでした。

その子は、モモ。

メイとモモが我が家にやってきたおかげか、私たちはシータを喪った事によるペットロス症候群になる事もなく、慌ただしいまま月日が過ぎて行きました。

メイとモモは・・・シータが送ってくれた子かもしれませんね。
シータを看取れずに悔やむばかりの私たちの気を紛らわす為に、子猫を連れてきたのかも。

あれから6年。仏教で言うところの七回忌。

またシェパードを飼いたい。そう思えるようになりました。
次も女の子で名前もシータで。
シータに会いたいな・・・
そんな風に、静かに再会を願えるようになれたのも、メイ、モモ、先住猫のふうちゃんに振り回される日々の中で、シータと暮らした時間を穏やかに振り返る事が出来るようになったからでしょう。

沢山の涙と積み重なって行く時間が、
深い喪失感と、心にあいた大きな穴を埋めてくれます。


ウサギちゃんを亡くした彼女の心は、今は哀しみに覆われているでしょう。
哀しくて哀しくて、息をするのも辛いかもしれない。
一歩も動けないくらい憔悴しているのかもしれない。
それも、時間が癒やしてくれます。

きっと、歩き出せる朝が来ます。



内館牧子さんの初期小説の中にある台詞。

「人が死ぬと哀しいのは、思い出を遺していくからよ」

最愛の恋人を事故で亡くしたヒロインの母が、愛娘を抱きしめて言う言葉です。

人でなくとも、動物だって、愛情溢れる思い出を沢山くれました。
それがあるから哀しいのですね。

今はもう逢えなくなった犬や猫たちの鳴き声や毛並み、愛に溢れた瞳を思い出すとき、心は過去に戻って感傷的になっています。

そこから立ち直るには、新しい思い出を作っていけばいい。
新たな日々を歩き出し、生きていく・・・

ヒロインの母親は、泣きじゃくる娘を諭します。
恋人が遺した子供を、ヒロインが母として育てていく事で、亡き恋人との新しい思い出を作っていく。

ヒロインは母の言葉どおり、ラストで義理の息子を育て上げるのでした。


ウサギを亡くした彼女にも、
いつかまた、新しい思い出を作り出す日が訪れるはず。


人生にはいつどこで立ち止まっても、新しい扉が用意されています。

それを開けた先には必ず新しい道が幸せへと続いているはず。

彼女が新しい扉のドアノブに手をかける日が来るのは、まだ少し先かもしれないけれど、
きっと、新たな一歩を踏み出してくれるはず。

愛したペットたちは、いつもずっとそばにいます。愛する人の笑顔を待っています。

その日が訪れることを、心から笑えるときが来ることを、

孤独とサヨナラする日が再び巡ってくることを、


遠く埼玉から祈っています・・・。


仲良しだった頃に描いて贈ったうさおくんの絵。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌

コメント